小村寿太郎はいかに関税自主権を回復したか?陸奥宗光との違いと真相についての疑問解決ガイドをご紹介します。
明治の不平等条約改正を語る上で欠かせない二人の巨頭が、陸奥宗光と小村寿太郎です。歴史の授業ではセットで扱われますが、両者が対峙した国際環境と担ったミッションには決定的な違いがあります。
陸奥宗光が外務大臣を務めた1894年(明治27年)、日本はイギリスとの間で日英通商航海条約を結び、悲願であった領事裁判権の撤廃に成功しました。しかし、この時点で回復できた関税自主権は一部分(一部品目の協定関税化)にとどまり、関税自主権の「完全回復」は小村寿太郎の時代まで持ち越されることになります。両者の功績と当時の条件を一覧で整理すると、その構造的差異が鮮明に浮かび上がります。
項目陸奥宗光(1894年調印)小村寿太郎(1911年調印)編集部の見解・分析達成した主要課題領事裁判権(治外法権)の撤廃
※関税自主権は一部回復にとどまる関税自主権の完全回復
(不平等条約の全面撤廃)陸奥が司法主権を取り戻し、小村が経済主権を取り戻すという二段階の完結プロセス。突破口となった条約日英通商航海条約(ロンドンで調印)日米通商航海条約(ワシントンで調印)陸奥は覇権国イギリスを動かし、小村は新興の大国アメリカを先行させて欧州を包囲した。当時の国際的背景ロシアの南下政策に警戒するイギリスの東アジア戦略との利害一致(日清戦争直前)日露戦争の勝利、日英同盟の継続、日本が「列強」の一角として公認された時期陸奥時代は「アジアの新興国」、小村時代は「国際法を守る軍事・経済強国」への地殻変動。交渉の力学・梃子大日本帝国憲法の発布、近代法典編纂による「文明国」のアピール陸奥条約の12年有効期間満了(条約破棄通告権)+対米移民自主規制という現実的妥協法的正当性と条約満了の期限を最大限に活用し、小村は相手の痛痒を突く外交カードを行使した。
このように、陸奥宗光が敷いた「対等外交への布石」があったからこそ、小村寿太郎は関税自主権の完全回復という最後にして最大の難関を突破することが可能となったのです。