Q1:なぜ「イスタンブール」ではなく、わざわざ古い時代の「ビザンティウム」と呼ぶのですか?
A1:後世の歴史家が、ドイツの政策を「Berlin・Byzantium・Baghdad」という3つの頭文字「B」で語呂良く整理するために古代名を採用したためです。当時のオスマン帝国の公式名称はコンスタンティノープル(トルコ語呼称でイスタンブール)であり、同国の公文書でビザンティウムと呼ばれていたわけではありません。教育的・学術的な整理の産物といえます。
Q2:第一次世界大戦の真の原因は、3B政策と3C政策の対立だけで説明できるのですか?
A2:単独の原因ではありません。英独の鉄道・植民地対立は重要な背景要素ですが、決定打となったのはオーストリアとロシアが激突したバルカン半島のスラヴ対ゲルマンのナショナリズム闘争(サラエボ事件)、および各国の軍事同盟の自動発動システムです。前述の通り、開戦直前には英独間で鉄道利権に関する外交妥協が成立していたことからも、鉄道対立そのものより同盟関係の連鎖が直接の引き金でした。
Q3:バグダード鉄道は第一次世界大戦の勃発によって計画が立ち消えになったのですか?
A3:計画自体は消滅せず、大戦後も工事は継続されました。ドイツの敗戦に伴い利権は英仏に引き継がれ、シリアやイラクの信託統治領を経て、全線が物理的に開通したのは大戦から四半世紀を経た1940年のことです。しかしその頃には航空機や自動車、パイプラインの普及が進んでおり、かつて列強が夢見た戦略的・軍事的な価値は大きく失われていました。