横浜ブリッツの誕生と終焉は、横浜みなとみらい21地区全体の都市再開発計画と密接にリンクしていた。かつては港湾の空き地が目立っていたエリアが、今や日本屈指の「音楽の街」へと変貌を遂げたのは決して偶然ではない。
近年のライブハウス・音楽興行産業においては、中規模ホールから大型アリーナまで多様なヴェニューが集積し、回遊性の高いエンタメエリアとして再定義が進んでいる。ブリッツが蒔いた「みなとみらいで生の音楽を楽しむ」という文化の種は、形を変えながら現在の都市計画の中にしっかりと根を張り、大きな花を咲かせている。