時計の針をバブル崩壊直後へと巻き戻してみましょう。ATCは、国の輸入促進政策(FAZ構想)の先駆けとして、大阪市と民間企業が共同出資する第三セクター方式で設立され、1994年(平成6年)に開業しました。総事業費はおよそ1,500億円。延床面積約33万平方メートルという途方もないスケールを誇り、環太平洋地域の貿易拠点、そして最先端の国際見本市会場として鳴り物入りで誕生したのです。
しかし、オープンを迎えた時期はすでにバブル崩壊の余波が日本経済を直撃していた最悪のタイミングでした。都心部から離れた埋立地(南港・咲洲)という立地の悪さに加え、貿易拠点としての実需は計画を大幅に下回りました。さらに、高額に設定されたテナント料が仇となり、進出した企業やショップが次々と撤退するドミノ倒しが発生します。
開業から間もなく、広大な館内はシャッター通りと化し、閑散としたフロアに清掃マシンの走行音だけが虚しく響く光景は、メディアから「放漫財政の象徴」「ハコモノ行政の極致」と激しく糾弾されました。累積赤字は雪だるま式に膨らみ、2003年には特定調停を申し立てる事態に発展。負債総額はグループ全体で2,800億円規模に達し、実質的な経営破綻へと追い込まれたのです。
大阪市民の間でも「税金の無駄遣い」「解体したほうが維持費がかからないのではないか」といった厳しい意見が支配的となり、隣接する超高層ビル・WTC(現・大阪府咲洲庁舎)とともに、大阪市政の暗部として長く語り継がれることとなりました。