アウェアネスリボンの中でも、とりわけ強いメッセージ性を帯び、時に社会的・政治的な文脈を帯びるのが「レッド」「ブルー」「イエロー」の3色です。なぜその色が選ばれ、どのような悲劇や願いが込められてきたのか。現場に残された記録と歴史的ファクトを深掘りします。
レッドリボン:ブロードウェイの追悼から始まったエイズへの偏見打破
世界的なアウェアネスリボンの爆発的普及の震源地となったのが、1991年のレッドリボンです。当時、致死率が極めて高かったHIV/エイズは、無理解による激しい差別と偏見に晒されていました。多くの仲間を病で失ったニューヨーク・ブロードウェイのアーティスト集団「Visual AIDS」は、「情熱の血」と「生命の尊厳」を象徴する鮮烈な赤をリボンとして胸に掲げました。同年のトニー賞授賞式で俳優たちが一斉に着用したことで全世界へ映像が配信され、社会的な連帯の合言葉となった経緯があります。
ブルーリボン:北朝鮮による拉致被害者救出を希求する日本の悲願
日本国内で目にする機会が非常に多いブルーリボンは、北朝鮮によって不法に拉致された被害者の即時救出を求めるシンボルです。家族会の手記や集会資料によれば、この青色は「日本海の深い青」と「拉致被害者と日本に待つ家族をつなぐ同じ空の青」を意味しています。2000年代以降、拉致被害者等支援運動が国民的運動へと発展する過程で定着し、現在も総理大臣をはじめとする政府高官が公式会見で着用し続けていることは知られている通りです。なお、海外では前立腺がん啓発やサイバーいじめ防止運動として青が用いられるケースもあり、国際的な場では文脈の照合が求められます。
イエローリボン:無事の帰還を待つ詩情から障害者自立支援の輪へ
イエローリボンのルーツは、古くはアメリカ南北戦争期まで遡り、戦地に赴いた愛する人の無事な帰還を祈って女性が黄色いリボンを身につけたという伝承に基づきます。映画『幸せの黄色いリボン』のヒットでも知られるこの精神は、「遠く離れた人の帰還や回復を温かく迎え入れる」という受容のメタファーでした。日本ではこれを起点に、障害のある人々の社会参加と自立を応援する「イエローリボン運動」が全国の社会福祉協議会や民間団体によって推進されています。他方、国際情勢においては紛争地からの停戦・無事帰還を訴えるシンボルとしても再浮上しており、複数の歴史的感情が折り重なったカラーと言えます。