浅間山荘事件でなぜ爆売れ?カップヌードル普及の真相と歴史の裏側

浅間山荘事件でなぜ爆売れ?カップヌードル普及の真相と歴史の裏側

浅間山荘事件でなぜ爆売れ?カップヌードル普及の真相と歴史の裏側について知っておくべき 理由を分かりやすい構成で解説いたします。

事件が発生したのは1972年2月19日。現場となった軽井沢の山荘周辺は標高約1,000メートルに位置し、夜間には氷点下15度以下まで気温が下がる極限の過酷環境でした。鉄砲水や催涙ガス、銃弾が飛び交う中、警視庁および長野県警から派遣された機動隊員たちは、24時間体制の包囲網を維持しなければなりませんでした。

最大の課題となったのが「機動隊員の食事確保」です。当初、後方支援部隊は地元業者から仕出し弁当やおにぎりを調達して現場へ運びました。しかし、極度の寒気によって運搬中に米飯やおかずが石のようにカチカチに凍結し、隊員が口に含んでも噛むことすらできず、箸が折れる事態が頻発しました。過酷な任務で体温を奪われ、疲労困憊した隊員たちの士気低下は、警備本部にとって作戦遂行を揺るがす深刻な危機だったのです。

そこで白羽の矢が立ったのが、前年1971年9月に発売されたばかりのカップヌードルでした。給水車と大型湯沸かし器さえ用意できれば、マイナス十数度の屋外でもわずか3分で熱々の麺と温かいスープを行き渡らせることができます。持ち運びが容易で、片手で容器を持って立ったまま素早く栄養を補給できる点も、一瞬の油断も許されない前線の現場に完璧に合致していました。

山本 拓海
著者

山本 拓海

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。