当時、都城高校のグラウンドへ足を運んでいたスカウト陣や、現場で彼と対峙していた関係者の証言を突き合わせると、山本由伸が高校時代から一般的な高校球児とは一線を画す異質の価値観を持っていたことが分かります。
当時の取材記録によると、山本由伸は高校時代からウェイトトレーニングによる過度な筋肥大を嫌っていました。バーベルを担いで筋出力を高める従来の野球界の主流に背を向け、自重を使った身体操作やブリッジ運動、ジャベリックスロー(やり投げ)に近い投てき動作を取り入れるなど、独自の身体感覚を研ぎ澄ませていたのです。
関係者の手記やインタビューでは、当時の様子について次のように語られています。
「高校生とは思えないほど、自分の関節の位置や力の伝え方を論理的に把握していた。試合に勝つこと以上に、自分が理想とする腕の軌道とボールの回転軸をコントロールすることに執着していたように見えた。夏の宮崎大会で負けた直後も、ただ悔し涙を流すというよりは、既に次のステージを見据えた冷徹な瞳をしていたのが忘れられない」
――(当時の担当スカウトおよび高校野球取材記者の証言より)
SNSやネット上では「高校時代の山本は無名だった」と語られることがありますが、これも明らかな誤認です。宮崎県内やスカウトの間では「とんでもない球を投げる投手がいる」と騒然となっており、決して実力がなかったのではなく、「組織としての勝利を優先するトーナメントの力学」と「個人の身体保全と理想のフォーム追求」の狭間で、早期敗退を余儀なくされたというのが現場のリアルな実態でした。