田部井淳子の死因と壮絶な闘病記|享年77、最期まで山に捧げた生涯の真実

田部井淳子の死因と壮絶な闘病記|享年77、最期まで山に捧げた生涯の真実

田部井淳子の死因と壮絶な闘病記|享年77、最期まで山に捧げた生涯の真実の基本情報から最新動向までを徹底的にカバーしました。

田部井淳子さんは1939年9月22日、福島県田村郡三春町の7人兄弟の末っ子として生まれました。幼少期は体が弱かったものの、小学校4年生のときに担任教師に連れられて登った那須連峰・茶臼岳の美しさに魅了され、山歩きの魅力に目覚めます。

昭和女子大学英米文学科を卒業後は、働きながら社会人山岳会に所属し本格的な岩壁登攀(とうはん)などに挑みました。当時の登山界は圧倒的な男性社会であり、「女性が生意気に山に登るな」「子育てや家事をするのが女の役目」といった偏見が根強く残っていた時代です。そうした逆風を跳ね返すべく、1969年に日本初の「女子登攀クラブ」を設立しました。

そして1975年5月16日、日本女子エベレスト遠征隊の副隊長兼登攀隊長として、世界最高峰エベレスト(標高8,848m)への女性世界初登頂という偉業を達成します。アタック直前には雪崩に巻き込まれてテントごと埋まり、意識を失う重傷を負いながらも、奇跡的な回復を見せて山頂に立ちました。

彼女の挑戦はエベレストにとどまりませんでした。育児と家事を両立させながら世界各地の名峰に挑み続け、1992年には女性として世界初の「七大陸最高峰(セブン・サミッツ)登頂」を成し遂げます。名実ともに世界の登山史にその名を刻むレジェンドとなりました。

鈴木 陽菜
著者

鈴木 陽菜

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