大鵬を語る上で欠かせないのが、同時代にしのぎを削った第47代横綱・柏戸とのライバル関係、すなわち「柏鵬(はくほう)時代」の熱狂です。電光石火の立ち合いから一気に攻める「剛の柏戸」に対し、柔軟無比な体躯で相手を受け止めてねじ伏せる「柔の大鵬」。対照的な取り口とキャラクターを持つ2人の天才が毎場所のように賜杯を争い、大相撲は空前の黄金期を迎えました。
大鵬が打ち立てた記録は、まさに前人未到の領域でした。生涯で積み上げた幕内最高優勝は32回。年6場所制が定着した近代相撲において、2度の6連覇(1962年夏場所〜1963年春場所、1966年春場所〜1967年初場所)や、全勝優勝8回という驚異的な実績を刻みました。
さらに語り継がれるのが、1968年秋場所から1969年春場所にかけて記録した45連勝の真実です。この45連勝がストップした1969年春場所2日目の前頭・戸田戦は、大相撲の歴史を大きく変える契機となりました。戸田の押しに対して大鵬が土俵際で残し、相手の足が先に出ていたにもかかわらず行司軍配は戸田へ。写真や映像では大鵬の足が残っていることが明白で「世紀の大誤審」と騒がれました。大鵬自身は「審判が見間違えるような相撲を取った自分が悪い」と一切の弁解をしませんでしたが、この騒動を機に日本相撲協会は土俵下にビデオ判定(審判委員による映像確認)を正式導入することになりました。