ピサの斜塔が傾いた直接的な理由は、アルノ川が堆積させた極めて軟弱な沖積地盤にあります。1173年、海洋共和国として繁栄を極めていたピサの富と権力を誇示するため、大聖堂(ドゥオモ)の鐘楼として着工されました。しかし、わずか3階まで積み上げた1178年頃には、早くも南側への沈下が確認される事態に陥ります。
基礎の深さがわずか3メートルと浅かったことに加え、下層の土壌は砂や粘土、貝殻が混ざり合った不均一な湿地帯でした。塔の自重を支えきれなくなった地盤が不均等に沈み込む「不同沈下(地盤沈下)」を引き起こしたのが傾きの原点です。
ここで歴史の皮肉とも言える転機が訪れます。隣国フィレンツェやジェノヴァとの度重なる戦争により、建設工事は約1世紀にわたって中断を余儀なくされました。この長期の中断期間こそが、塔にとって最大の救いとなります。休工中に下層の粘土層が自重によって徐々に締め固められ、地盤の強度が自然に増したことで、基礎の完全崩壊を免れる結果となりました。
1272年に工事が再開された際、当時の建築家たちは傾きを補正するため、上層階の南側の柱や壁を北側よりも高く設計する奇策を取りました。そのため、塔を遠くから精査すると、完全な直線ではなくバナナのようにわずかに湾曲した形状を描いていることが確認できます。1372年に最上階の鐘楼が完成したときには、すでに修正不可能な傾斜を持った唯一無二の建造物が完成していました。