トルコは中東かヨーロッパか?知られざる境界線と公式区分の真相

トルコは中東かヨーロッパか?知られざる境界線と公式区分の真相

トルコは中東かヨーロッパか?知られざる境界線と公式区分の真相の具体的な内容に迫る! わかりやすい言葉でまとめました。

「そもそも中東とは何を指すのか」という原点に立ち返ると、用語そのものが持つ歴史的なバイアスに直面します。中東と近東と中近東の違いを正確に説明できる人は多くありません。これらの語彙は、19世紀から20世紀初頭にかけて大英帝国を中心とする西欧列強が、自国から見た距離に基づいて勝手に名付けた地政学用語に由来します。

当時の定義では、地中海東岸やオスマン帝国領を「近東(Near East)」、ペルシャ湾周辺からインド手前までを「中東(Middle East)」、そして中国や日本を「極東(Far East)」と呼び分けていました。その後、第二次世界大戦期に英軍がエジプトに「中東軍司令部」を設置したことなどから、近東と中東が混同されて「中近東」という総称が定着し、現在では「中東」という呼称にほぼ統合される形となりました。

つまり、「中東」という枠組み自体が自然地理的に厳密な境界線を持つ大陸区分ではなく、西欧から見た便宜上の政治的呼称に過ぎません。トルコがその境界線上に位置している以上、外側から貼られるラベルが時代によって移り変わるのは不可避の宿命でした。

ネット上のQ&AサイトやSNSでは、「国土の大半がアジアにあるのだから中東と呼ぶのが正しい」「いや、NATOやUEFAにいるのだからヨーロッパと呼ぶべきだ」といった極端な二元論が交わされがちです。しかし、トルコのアジア側地域であるアナトリア半島は、古代ギリシャ・ローマ文明、初期キリスト教の発展地でもあり、ビザンツ帝国の中心地でもありました。西洋文明の揺籃の地という歴史的背景を無視して「アジアだから中東」と一蹴することも、イスラム王朝として600年君臨したオスマン帝国の遺産を度外視して「完全にヨーロッパ」と言い切ることも、歴史の実態からは乖離しています。

佐藤 大輔
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佐藤 大輔

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