1999年8月、モーニング娘。の「第三期追加オーディション」の結果が発表された。合格したのは、当時わずか13歳の「後藤真希」ただ一人。プロデューサーのつんく♂に「10年に1人の逸材」「すでに完成されている」とまで言わしめたその才能は、加入直後から異次元の輝きを放つことになる。
電撃加入からわずか1ヶ月後、彼女をセンターに抜擢した7thシングル「LOVEマシーン」がリリースされた。それまでのグループのイメージを一新するダンサブルでパワフルな楽曲は、累計売上164万枚を超える大ヒットを記録。日本中でダンスが真似され、社会現象へと昇華した。13歳の少女が中央に立ち、大人のメンバーを従えて堂々と歌い踊る姿は、日本中のお茶の間に強烈なインパクトを与えたのである。
しかし、華やかなスポットライトの裏側では、過酷な現実が渦巻いていた。過密を極めるスケジュール、一躍全国区となったことで一変した日常生活、そしてセンターとしての重圧。所属事務所であるアップフロントプロモーションの徹底したバックアップのもと、少女は寝る間も惜しんでレッスンとテレビ出演に追われる日々を送っていた。弱音を一切吐かず、プロとしての凄みを魅せ続けた姿勢こそが、彼女を単なるブームで終わらせない圧倒的カリスマへと押し上げた原動力だった。