小林一茶の代表作と生涯の真相|名句の裏に秘めた壮絶な孤独と愛

小林一茶の代表作と生涯の真相|名句の裏に秘めた壮絶な孤独と愛

今注目を集めている 小林一茶の代表作と生涯の真相|名句の裏に秘めた壮絶な孤独と愛について、多角的な視点を分かりやすく掲載しています。

小林一茶の生涯は、江戸の文化人の中でも群を抜いて波乱に満ちていました。「小林一茶 生涯 壮絶な理由」を解明すると、主に3つの過酷な転機が浮かび上がります。

第1の苦難は、幼少期の母の死と継母からの虐待、そして15歳での単身江戸奉公です。実母の死後、祖母に育てられたものの、祖母が没すると継母から執拗な辛酸を舐めさせられます。異母弟が誕生すると居場所は完全に消滅し、15歳にして着の身着のままで江戸へ出稼ぎに出されました。奉公先を転々としながら糊口をしのぎ、極貧のなかで俳諧の道へ没入していった青春期は、飢えと孤独との闘いそのものでした。

第2の苦難は、父の死後に勃発した12年間におよぶ泥沼の遺産相続争いです。父・弥五兵衛は遺言で財産を一茶と弟に等分するよう言い残しましたが、継母と異母弟はこれを頑なに拒絶。一茶は江戸と信州を幾度も往復し、親族や寺の調停を巻き込んで権利を主張し続けました。この壮絶な記録は『父の終焉記 内容要約』に詳しく、病床の父を看病した温かな記憶とともに、継母側との凄まじい罵り合いや人間の醜悪なエゴが生々しく描かれています。

第3の苦難は、晩年に築いた家庭で訪れた、愛する妻子との相次ぐ死別です。遺産争いに決着がつき、52歳で28歳の妻・きくを迎えて待望の家庭を得た一茶でしたが、運命はあまりにも残酷でした。長男は誕生後わずか1か月で死亡。次男も生後数週間で命を落とし、長女・さと、三男も相次いで夭逝しました。さらに妻・きくも37歳の若さで病死。その後、再婚した妻とは半年で破綻し、3度目の妻を迎えて新たな命を授かったものの、文政10(1827)年、柏原宿の大火により家を焼失。焼け残った狭い土蔵での生活を余儀なくされ、同年11月、生まれてくる最後の子の顔を見ることなく65歳で息を引き取りました。

山本 拓海
著者

山本 拓海

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。