新語・流行語大賞の炎上は、2024年に突如始まったものではありません。歴代の受賞歴を振り返ると、数年周期で同様の激しいバックラッシュが繰り返されてきました。 記憶に新しいところでは、2016年にトップテン入りした「保育園落ちた日本死ね」があります。待機児童問題を象徴する匿名ブログの一節でしたが、「日本死ねという罵倒語を公の賞として顕彰するのか」と国会を巻き込む大論争に発展しました。さらに過去を遡れば、2014年の「集団的自衛権」、2015年の「アベ政治を許さない」「SEALDs」など、政権批判や特定の政治運動スローガンが不自然なほど高い優先度でトップテンに食い込み、ネット上では「選考委員の政治的偏向によるプロパガンダではないか」と強い反発を招いてきました。 また、政治色だけでなく「野球偏重」も長年の批判の的です。2015年の「トリプルスリー」、2016年の「神ってる」、2021年の「リアル二刀流」、2022年の「村神様」など、野球関連の言葉が毎年のように大賞を独占してきました。野球ファン以外にとっては「普段一度も耳にしない言葉」が大賞に据えられる現象が常態化していたのです。 なぜこのような事態が恒常化するのか。そこには、「国民的共有体験の崩壊」というメディア社会学的な構造変化が存在します。 かつての昭和・平成初期であれば、国民全員が同じゴールデンタイムのテレビ番組を観て、翌朝の学校や職場で同じフレーズを口にする「全国民規模の共通言語」が存在しました。しかし令和の情報環境は、アルゴリズムによる最適化によって極限までパーソナライズされています。若者はTikTokやYouTubeの特定ジャンルに没入し、アニメファン、ゲーマー、アイドルファン、スポーツファンがそれぞれ独立したタコツボ(フィルターバブル)の中で異なる熱狂を生きています。 もはや日本中が一致団結して口にする「真の流行語」など、物理的に存在し得ない時代になったのです。それにもかかわらず、選考側が「昭和的なひとつの日本」を前提とし、自分たちの観測範囲(テレビと活字文化)から言葉を抽出しようとするため、毎年どこかの層から「聞いたことがない」「おかしい」と総スカンを食らう結果を生み出しています。
流行語大賞2024はおかしい?世間とのズレと炎上の真相を追う
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