平成初期の混乱期を象徴するのが、昭和から受け継がれたバブル経済の崩壊処理だ。知性派として知られた宮澤喜一首相の在任中、日本経済は未曽有の資産価格下落と不良債権問題に打ちのめされた。宮澤喜一は経済理論に精通していたものの、公的資金の注入に対する与野党および世論の激しい反発に直面し、早期の構造処理へ舵を切ることが困難であったとされる。
最新の資料が示すのは、大蔵省(当時)との水面下の駆け引きや、国際社会からの金融安定化への圧力が、いかに政権を追い詰めていたかという事実だ。この時代の後手に回った危機管理の手法は、その後の失われた数十年と呼ばれる長期停滞の序章となり、意思決定の遅れが持つリスクを後世に強く知らしめることとなった。