夏の甲子園開会式でプラカードを持つ高校が「市立西宮高校」に固定されている背景には、戦後日本の教育改革と、地元ならではの深い人的ネットワークが存在します。
歴史の転換点となったのは、戦後間もない1949年(昭和24年)の第31回全国高校野球選手権大会でした。GHQの指導のもとで学制改革が進み、全国的に「男女共学」が推進されていた時代背景があります。当時、男子球児のみで構成されていた高校野球の舞台に、新しい時代の息吹として「女子生徒の参加機会を作りたい」という高野連(日本高等学校野球連盟)および主催の朝日新聞社の強い意向がありました。
そこで浮上したのが、入場行進で各校の先頭に立ち誘導するプラカードの持ち手としての参加でした。数ある高校の中から西宮市立西宮高校が選ばれた最大の決め手は、当時の甲子園球場長が生徒の保護者であったという直接的な縁に加え、球場が西宮市内に位置し、生徒の移動や連日のリハーサルにおける安全管理・連携が最も円滑に行える立地条件にありました。
こうして第31回大会で初めて市西の女生徒がプラカードおよび大会旗の誘導係としてグラウンドを踏みしめて以来、70年以上の長きにわたり一度も途切れることなく伝統として受け継がれています。