淵の森緑地が直面した最大の試練は、1996年に持ち上がった大規模な宅地開発計画でした。柳瀬川の蛇行部に位置するこのクヌギやコナラの雑木林は、私有地であったことから一帯を伐採して住宅地へと造成される計画が具体化。重機の侵入が目前に迫る事態となったのです。
当時、近隣に自宅兼アトリエを構え、毎日の散歩コースとしてこの森の生態系に親しんでいた宮崎駿監督は強い危機感を抱きました。「一度壊された自然は二度と元には戻らない」という強い信念のもと、監督は近隣住民らとともに市民団体「淵の森の会」を結成し、自ら会長に就任。行政に対して緑地の公有地化を強く働きかけました。
しかし、当時の東村山市や所沢市にとって、数億円規模にのぼる土地買収予算を突発的に捻出することは財政上極めて困難でした。そこで宮崎監督が決断したのが、私財約3億円を東村山市へ寄付することでした。この破格の資金提供を呼び水として、市民からの募金運動や両自治体の連携が急速に加速。東村山市と所沢市が共同で土地を買い取り、公有緑地として恒久的に保全する道が切り拓かれたのです。
さらに後年、対岸の所沢市側緑地(約1,500平方メートル)にも開発計画が浮上した際、監督は再び私財を投じて支援の手を差し伸べました。行政の縦割りを乗り越え、都県境をまたぐ一体的な生態系回廊を守り抜いたこの運動は、日本のナショナルトラスト運動における金字塔として、環境保護関係者の間でも高く評価され続けています。