APF通信社の代表として、ミャンマーの情勢や海外の過酷な現場から命がけのリポートを発信してきた山路徹。彼の本来の主戦場は、一瞬の判断が生死を分ける報道の最前線だった。しかし、芸能界のスポットライトの下へと引っ張り出されたことで、彼の存在は急激にタレント化されていく。
戦場ジャーナリストという硬派な肩書と、バラエティ番組で見せる親しみやすいキャラクター。このギャップは視聴者を惹きつけたが、ジャーナリズムの本質がゴシップ消費の波に飲み込まれていく危うさも孕んでいた。取材者でありながら被取材者へと転落する歪みな構造は、当時のテレビ報道が抱える危うさを象徴していた。