インターネット上やSNSでは、歌唱力に関して数多くの俗説が飛び交っていますが、その多くは医学的・音響学的な根拠を欠いています。長年信じられてきた代表的な誤解を解き明かします。
第1の誤解は、「自分は生まれつきの音痴だから治らない」という思い込みです。医学界の研究によれば、脳の器質的障害によって音の高さの違いを全く認識できない「先天性音楽機能不全(アミュージア)」の有病率は、人口のわずか1〜2%程度に過ぎません。残る98%以上の「自称・音痴」の人々は、単に自分の発声筋を狙った音高に合わせて動かすトレーニングの経験がないか、幼少期に声の出し方を誤認したまま固定化してしまった「運動性の音痴」です。筋肉の動かし方と聴覚の連動を再学習すれば、例外なくピッチは改善します。
第2の誤解は、「腹筋を鍛えて力強く歌えば太い声が出る」という体育会系の発想です。歌唱において音程が安定する呼吸法と腹式呼吸が不可欠とされるのは事実ですが、腹筋にガチガチに力を込めて歌うと、連動して首周りや舌根(舌の付け根)に強い緊張が走り、声帯の自由な振動を阻害してしまいます。正しい腹式呼吸とは、横隔膜を自然に引き下げて肺の底に空気を取り込み、吐く息のスピードと圧力を背筋や骨盤底筋群で「一定に保つためのブレーキ」として機能させるものです。力むことではなく、息の流量をコントロールすることこそが真の目的です。
第3の誤解が高音発声の鍵とされるミックスボイスの出し方とコツに関するものです。「地声のまま力で張り上げる」のはチェストボイスの破綻を招くだけですし、単に息を抜いた弱々しい「裏声」を出してもミックスボイスにはなりません。ミックスボイスの正体は、甲状披裂筋(地声を担う筋肉)と輪状甲状筋(裏声を担う筋肉)がバランスよく拮抗し、声帯の粘膜が薄く引き伸ばされながらも適度に密着している状態です。エッジボイス(プツプツとした声帯の擦れ音)や鼻腔ハミングから徐々に母音へと移行するアプローチを取ることで、叫ぶことなく芯のあるハイトーンを響かせることが可能になります。