スポットライトを浴びる以前の生活は、死と隣り合わせの壮絶なものだった。幼少期に海で溺死しかけた経験を機に始まった霊的体験や、長期にわたる隔離病棟での入院生活。他者と隔絶された空間で彼を救ったのは、クラシックピアノの厳格なレッスンと、ラジオから流れる洋楽ロックのビートだった。
十代後半で京都へ渡った彼は、ドラマーとして泥にまみれながら数々のセッションをこなす日々を送る。防音設備もない粗末な部屋でパッドを叩き続け、機材車の中で何日も夜を明かす過酷な下積み生活。空腹を満たすために水をがぶ飲みし、それでもステージに立つことだけを夢見ていた無名の青年は、やがてドラムスティックをマイクへと持ち替える決断を下す。
この時期に培われた強靭なリズム感と、極限状態で磨かれた自己プロデュース能力こそが、後の巨大なスケールを持つステージ作りの土台となったことは疑いようがない。