歴史研究者や神職の間でも見解が分かれる「遺骨の真相」について、代表的な3つの説を検証します。
第1の説は「久能山留まり説」です。遺体を埋葬した後にわざわざ掘り起こすことは当時の神道・仏教的観念から穢れ(けがれ)を伴うため忌避されたと考えられます。久能山の神廟は西(京都・大坂方面)を向いて建てられており、西国大名や豊臣の残党に睨みを利かせる軍事的重要拠点に肉体を留めたという論理です。
第2の説は「日光完全改葬説」です。『東照宮御実紀』などの公式記録には、元和3年3月に久能山から日光へ向けて大規模な御輿の行列(遷座行列)が出立した様子が克明に描かれています。天海大僧正の指導のもと、江戸城の真北に位置する日光へ肉体ごと移すことで、北極星と一体化する「東照大権現」としての絶対的な鎮護国家を完成させたという見解です。
第3の説は「分骨・遺髪説」です。久能山に主要な遺体を残しつつ、遺髪や爪、あるいは一部の遺骨を分骨して日光の宝塔へ納めたとする折衷案です。これであれば両社がともに「家康の真の墓所所所」として神聖視されてきた歴史的整合性が保たれます。