マイケルの闘病生活は、最初から現在のような開かれた啓発活動だったわけではありません。最初の異変が現れたのは、映画『ドク・ハリウッド』撮影中の1990年、左手の小指が勝手に震え始めた瞬間でした。翌1991年に神経科医からパーキンソン病の確定診断を受けた際、医師から告げられた言葉は「俳優として活動できるのはあと10年程度だろう」という過酷な宣告でした。
当時、ハリウッドの頂点に君臨していた29歳の若きスターにとって、その事実は受け入れ難い悲劇でした。自著や手記『ラッキー・マン』でも克明に語られている通り、診断直後の数年間は現実逃避から過度なアルコール依存に陥り、病気であることを世間や映画関係者から徹底的に隠し通す日々が続きました。
転機となったのは、妻トレイシーの揺るぎない支えと長男の存在でした。断酒を決意した彼は、主演ドラマ『スピン・シティ』の撮影現場で症状のコントロールが限界に達した1998年、ついに全米に向けて病名を公表。隠蔽の苦しみから解放された彼は、ハリウッドの被害者ではなく「パーキンソン病克服のリーダー」としての道を歩み始めることになります。