テレビ番組で見せる「ゆで卵好き」のコミカルなキャラクターの裏には、戦後の混乱期を生き抜いた過酷な原体験が存在します。板東英二氏がゆで卵を愛食するようになったきっかけは、幼少期の極限状態にまで遡ります。
1940年に満州(現・中国東北部)で生まれた板東氏は、敗戦に伴い過酷な引き揚げを経験し、徳島県へと移り住みました。当時の日本は深刻な食糧難に喘いでおり、板東家も例外なく極貧の生活を強いられていました。当時の鶏卵は現在のような安価な食材ではなく、病気のときや年に一度の小学校の遠足など、特別なハレの日にしか口にできない超高級品だったのです。
板東氏は自著や過去のロングインタビューにおいて、当時の様子を次のように振り返っています。「母親がたまに作ってくれた塩味のゆで卵の味が忘れられず、大人になって金を稼いだら腹一杯ゆで卵を食べてやるというのが人生最初の野望だった」。この少年時代の飢えと欠乏感が、生涯にわたるゆで卵への執着の直接的な理由となったことは間違いありません。
その後、徳島商業高校のエースとして1958年夏の甲子園で大会通算83奪三振という不滅の記録を打ち立て、中日ドラゴンズに入団してプロ野球選手としての成功を収めた後も、少年の頃に刻み込まれた「ゆで卵への渇望」が薄れることはありませんでした。腹を満たすためだけでなく、貧しさを克服した証としての象徴がゆで卵だったと言えます。