ファンの間で今なお熱く議論されるのが「金田正一のストレートは本当に160キロ出ていたのか」という球速問題です。スピードガンが存在しなかった昭和20〜30年代、当時の打者や審判員は一様に「捕手のミットが割れるような音」「打席でボールが消える感覚」と証言しています。
後年のフィルム解析や元プロ野球選手たちの証言を総合すると、初速と終速の差が極めて少ないノビのある球質であり、体感速度としては優に160km/hに達していたと推測されています。対戦した長嶋茂雄氏や野村克也氏も「全盛期の金田の真っ直ぐは打てる気がしなかった」と口を揃えていました。
この豪速球と無尽蔵のスタミナを支えていたのが、昭和の時代において異次元とも言える徹底した自己管理術でした。当時としては極めて珍しい科学的コンディショニングを自らに課していたのです。
- 左腕の絶対保護:重い荷物は絶対に左手で持たず、就寝時も左腕を冷やさないよう特製のサポーターを着用。
- 徹底した食生活:体を冷やす冷水は一切飲まず、真夏でも常温の水や温かいスープを摂取。専属の栄養士並みに食材を厳選。
- 徹底した走り込み:毎日の長距離ランニングを日課とし、強靭な下半身と股関節の柔軟性を維持。
根性論が主流だった昭和球界において、金田氏は自らの体を「唯一無二の商売道具」としてストイックに管理していました。このプロフェッショナリズムこそが、14年連続20勝という過酷な登板に耐え抜いた最大の原動力でした。