バンコクの正式名称がこれほどまでに長大となった背景には、激動の歴史と王権の正統性を巡る深い祈りが込められています。
18世紀後半、タイ全土を震撼させたビルマ(現ミャンマー)軍の侵攻によって、400年以上続いたアユタヤ王朝が灰燼に帰しました。その後、タークシン王がチャオプラヤー川西岸のトンブリーに一時的な首都を置いたものの、政情不安が続きます。そして1782年、チャクリー王朝の始祖となったラーマ1世命名経緯が、この都市の歴史を決定づけました。
ラーマ1世は防衛上の観点から、川の蛇行に守られた東岸地区へと宮殿を移転します。このタイ首都正式名称由来の根底にあったのは、「滅亡したアユタヤの栄華を新天地に蘇らせる」という強い執念でした。かつてのアユタヤの正式名称(クルン・シ have =聖なる不滅の都)の要素を受け継ぎつつ、仏教とバラモン・ヒンドゥー教の宇宙観を総動員して、侵略者を寄せ付けない無敵の都であることを高らかに謳い上げたのです。
その後、19世紀中頃に第4代国王ラーマ4世(モンクット王)によって一部の語彙が修飾・改訂され、現代に伝わる完成形となりました。単なる記号としての地名ではなく、国家の平穏と王朝の不滅を願う「霊的な結界」としての役割を担っていたと言えます。