「梅一輪は誰の句か」と問われた際、松尾芭蕉本人の作と勘違いしているケースが散見されますが、正確な作者は江戸時代前期の俳諧師、服部嵐雪(1654〜1707年)です。嵐雪は、芭蕉の有力な門人のなかでも傑出した10人を指す「芭蕉十哲」の一角に数えられ、江戸俳壇において其角(宝井其角)と並び称された「蕉門の双璧」として知られています。
武家(淡路洲本藩主・稲田氏の家臣筋)の出自を持ちながら俳諧の道に身を投じた嵐雪は、華やかで機知に富んだ句風を誇った同門の其角とは好対照をなし、静寂で枯淡、内省的な美意識を重んじた人物でした。師である松尾芭蕉も、其角の才気を認めつつ、嵐雪の持つ求道的な風雅の深さを高く買っていたと当時の諸記録(『蕉門諸家伝』等)に記されています。
本作「梅一輪一輪ほどの暖かさ」が収められているのは、元禄7年(1694年)に刊行された俳諧撰集『若恵比寿(わかえびす)』です。この年は奇しくも師・芭蕉が大坂で客死した節目の年であり、嵐雪が40代に入り、俳諧師として表現の円熟味を極めていた時期に世に放たれた句でした。当時の江戸俳壇において、過度な言葉遊び(言葉の連想ゲーム)から脱却し、自然の微細な息遣いと自己の内面を静かに同期させる「蕉風俳諧」の精髄が、まさにこの五・七・五に凝縮されています。