このユニークな楽曲は、いったいいつ、誰の手によって作られたのでしょうか。「茶碗蒸しの歌歴史」と「茶碗蒸しの歌由来」を辿ると、大正時代のある学校現場に行き着きます。
1981年に発行された『鹿児島大百科事典』や、1998年6月27日付の南日本新聞の調査報道によると、本作は1921年(大正10年)、鹿児島県霧島市立宮内小学校(当時の宮内尋常高等小学校)の女性教諭・石黒ヒデ氏によって作詞・作曲されました。
「茶碗蒸しの歌元ネタ」となったのは、当時地域で語られていた実話交じりの滑稽話です。大正時代初頭、鹿児島の地方都市ではまだ茶碗蒸しというハイカラな日本料理が広く普及していませんでした。大阪や東京などの都会から戻ってきた人物が地元の食堂で「茶碗蒸し」を注文したところ、給仕の店主が「茶碗・虫」と聞き違え、「茶碗に虫などおらん!」と大騒動に発展したというエピソードが地元で語り草になっていたのです。
石黒教諭は、学芸会(学芸演芸会)で児童たちが楽しく演じられる劇中歌としてこの話を翻案しました。子どもたちが親しみやすいリズミカルな音頭調のメロディに乗せ、大人のユーモラスな早とちりを表現したところ、学校内にとどまらず瞬く間に霧島から鹿児島全域へと歌い継がれていくことになりました。当時の音楽教育において、地域の方言を活かした児童向けの劇中歌がここまで長く残った事例は、全国的にも極めて珍しい文化財的価値を持っています。