橋本マナミ×篠山紀信の伝説|国民の愛人ブレイクと傑作写真集の真実

橋本マナミ×篠山紀信の伝説|国民の愛人ブレイクと傑作写真集の真実

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1997年、第7回全日本国民的美少女コンテストで演技部門賞を受賞して芸能界入りした橋本マナミさん。同期の上戸彩さんらが瞬く間にスターダムへと駆け上がる中、彼女は20代後半を迎えても決定的な代表作に恵まれず、テレビの再現ドラマや地方ロケをこなす不遇の日々が続いていました。当時の特番インタビューや手記において、彼女自身が「20代後半になり、芸能界を辞めて実家のある山形へ帰るべきか毎日悩んでいた」と吐露していた通り、まさに背水の陣に追い込まれていたのです。

転機が訪れたのは2014年、30歳を迎える目前のタイミングでした。所属事務所の移籍を機に、それまでの「どこにでもいる清純派」の鎧を完全に脱ぎ捨てる覚悟を決めます。その転換点となった現場こそが、講談社『週刊現代』のグラビア企画であり、カメラを構えていたのが篠山紀信さんでした。

当時の撮影現場について、関係者や本人が明かした篠山紀信 撮影秘話は実に示唆に富んでいます。スタジオに現れた篠山さんは、緊張で身構える橋本さんに対し、型通りのポージングを一切求めませんでした。篠山さんが投げかけたのは「マナミ、きれいに写ろうとするな。男に捨てられた女の悲しさや、心の奥底にある情念を全部出してごらん」という痛烈な一言だったと伝えられています。

それまでのグラビア界は、若さや快活さを健康的に見せるアプローチが主流でした。しかし篠山紀信さんは、橋本さんが16年間の挫折で蓄積してきた「孤独」「悔しさ」「渇望」という影の部分に着目したのです。白日のもとに晒す明るいエロスではなく、陰影と湿度を帯びた生々しい大人のエロティシズム。これこそが世間に「国民の愛人 きっかけ」として認知され、一気に社会現象へと発展した橋本マナミ ブレイク 理由の核心でした。

阿部 裕樹
著者

阿部 裕樹

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。