探し物をするとき、「どこに置いたかを思い出せない」状態と「置いた記憶そのものが存在しない」状態には、脳科学的に決定的な違いがあります。前者は脳の海馬に一度保存された記憶を引き出せない「想起のエラー」ですが、後者はそもそも脳に情報が書き込まれていない「記銘(インプット)のエラー」です。
人間の脳は、目や耳から入る膨大な情報の中から、注意を向けた対象だけを短期記憶を司るワーキングメモリ(作業記憶)に一時保管し、その後海馬を通じて長期記憶へと定着させます。しかし、スマートフォンを見ながら鍵を置いたり、次の仕事の段取りを考えながら財布を手放したりすると、脳の注意資源が別の対象に占有されます。その結果、物を置くという物理的動作が無意識の「オートパイロット状態」で行われ、記憶のインプット処理そのものがスキップされてしまうのです。
うっかり忘れやストレスに伴う脳疲労が蓄積していると、前頭前野の機能が著しく低下し、ワーキングメモリの容量が圧迫されます。マルチタスクや睡眠不足、精神的なプレッシャーが続いている環境下では、誰もが「置いた記憶が完全に消える」現象を経験しやすくなります。