心理学史に燦然と輝く「自我同一性(アイデンティティ)」という概念は、単なる机上の思索から生まれたものではありません。提唱者であるエリク・H・エリクソン(Erik Homburger Erikson, 1902–1994)自身の、波乱に満ちた出自とアイデンティティの揺らぎがその母体となっています。
デンマーク人の実父とユダヤ人家庭に生まれた母の間に生を受けたエリクソンは、実父の顔を知らぬまま育ちました。母が再婚した小児科医ホンブルガーの姓を名乗りながらも、ユダヤ教のシナゴーグでは「北欧系の青い目をした異邦人」と見なされ、公立学校では「ユダヤ人」として差別を受けるという過酷な二重疎外を体験します。青年期には画家を目指して欧州各地を放浪し、社会的な定職に就かないモラトリアム期を過ごしました。
転機となったのは、ウィーンでジークムント・フロイトの娘であるアンナ・フロイトに出会い、児童精神分析の訓練を受けたことです。その後、ナチスの台頭から逃れるためにアメリカへ亡命。移民として自らの名前を「エリクソン(エリクの息子)」と改名した事実は、自らのルーツを自らの手で再定義しようとした象徴的な行動として知られています。
自著『青年ルター』や自伝的手記において、エリクソンは「自分はいったい何者であり、どの集団に属しているのか」という問いがいかに人間の実存を揺るがすかを詳述しました。先住民族スー族やユロク族のフィールドワーク、第二次世界大戦時の帰還兵のトラウマ治療に従事する中で、文化や社会制度が個人の精神構造に決定的な影響を与える事実を痛感し、従来のフロイト的な生物学的本能論(リビドー発達論)を乗り越える「心理社会的発達理論」を完成させたのです。
ピアジェとエリクソンの発達理論比較
発達心理学の双璧として比較されるジャン・ピアジェとエリクソンは、人間の発達を捉える視座において明確なコントラストを持っています。ピアジェが「子どもが世界をどのように論理的に認識していくか」という認知的発達(思考の構造)に焦点を当てたのに対し、エリクソンは「個人が他者や共同体とどのような関係を結び、自己を確立していくか」という社会情緒的発達(全生涯の文脈)を追求しました。
ピアジェのモデルは「感覚運動期」「前操作期」「具体的操作期」「形式的操作期」の4段階であり、思春期頃の論理的思考力の完成をもって発達の記述を終えます。一方、エリクソンは人間が肉体的な成熟を終えた後も、就労、結婚、子育て、加齢、死という社会的現実に直面し続け、生涯にわたって変容し続ける点に着目しました。この「ライフサイクル論」という視点の導入こそが、心理学における決定的なパラダイムシフトでした。