ここで再び浮上するのが「人間原理」という考え方だ。私たちが宇宙を観測できるのは、生命が存在できるように宇宙が都合よく作られているからに過ぎないというロジックである。だが、この人間原理は科学的な解答なのか、それとも形而上学的な逃げ道なのか。議論は紛糾を極めている。
形而上学的な問い掛けは、かつては抽象的な概念として処理されていた。しかし、観測技術が極限に達した今、物質と意識、そして物理定数の奇跡的な整合性は、実験室で検証されるべきテーマへと変貌を遂げた。「観測されるから存在できる」のか、それとも「存在するから観測される」のか。この相克の先に、私たちが神と呼んできた存在の輪郭が薄っすらと見え隠れする。