萬屋の歴史を語るうえで、昭和のエンターテインメント界を震撼させた萬屋錦之介(初代中村錦之助)の存在を避けて通ることはできません。歌舞伎の女方から出発した錦之介は、1954年に東映時代劇へと電撃進出。『笛吹童子』『紅孔雀』で瞬く間にトップアイドルとなり、美空ひばりらと共に日本映画の黄金期を牽引する大スターへと登り詰めました。
東映専属時代に見せた『宮本武蔵』5部作や『反逆児』での鬼気迫る演技は、現代でも時代劇映画の最高峰として語り継がれています。しかし、昭和40年代に入り斜陽化する映画界にあって、自らの理想とする映像制作を求めて設立した「中村プロダクション」は過酷な運命に直面しました。大作テレビ時代劇『子連れ狼』『破れ傘刀舟悪人狩り』などをヒットさせたものの、放漫経営と制作費の肥大化が祟り、1982年に事実上の倒産に追い込まれます。
当時の報道によると、その負債総額は14億円以上という天文学的数字に達しました。さらに私生活では大女優・淡路恵子との泥沼の離婚劇、所属俳優による労働争議、そして自らを襲った特定疾患「重症筋無力症」による全身麻痺と長期闘病など、その人生はまさに劇作家も描けないほどの波乱に満ちていました。
過酷な試練の最中にあっても、錦之介は舞台復帰を果たし、萬屋の象徴として壮絶なまでの演技を観客の網膜に焼き付けました。現在の萬屋に流れる「困難に抗い、自らの信念で観客を圧倒する」という気風は、錦之介が命を削って残した強烈なDNAそのものといえます。