上野東照宮が「強運・勝運の神域」として畏敬される最大の理由は、数百年におよぶ災禍をことごとく奇跡的に生き延びてきた圧倒的な歴史的事実にあります。単なるオカルトや俗信ではなく、都市が灰燼に帰した3大危機において社殿群が無傷で残った記録が、パワースポットとしての信憑性を裏付けています。
当宮は寛永4年(1627年)、津藩主・藤堂高虎公と天台宗の高僧・天海僧正により創建され、慶安4年(1651年)に三代将軍・徳川家光公の手によって現在残る豪壮華麗な社殿へと大規模改築されました。その後、東京の歴史を揺るがした以下の3つの大災害に見舞われます。
第1の危機は、1868年の戊辰戦争(上野戦争)です。旧幕府軍の彰義隊が立てこもる上野山は新政府軍のアームストロング砲による猛砲撃に晒され、本坊をはじめ寛永寺の主要堂塔の多くが炎上しました。しかし、寛永寺の境内にありながら東照宮の社殿群は奇跡的に類焼を免れました。
第2の危機は、1923年の関東大震災です。東京の下町一帯が壊滅的な揺れと大火に見舞われ、多くの歴史的建造物が倒壊・焼失する中、強固な基礎構造と地盤の安定性に支えられ、東照宮は倒壊することなくその威容を保ち続けました。
そして決定打となった第3の危機が、1945年の第二次世界大戦(東京大空襲)です。台東区一帯には無数の焼夷弾が投下され、上野公園周辺も火の海と化しました。境内関係者の記録や戦災資料によると、社殿のすぐ間近にも直撃弾が落下したものの、不発弾となって爆発を免れ、金色殿や唐門は一切の炎上を逃れました。
これらの史実から、逆境にあっても決して倒れず、幾重もの危機を乗り越えて天下泰平を築いた徳川家康公の「不屈の勝運」が宿る聖地として、現代のビジネスパーソンや受験生、勝負事に挑む人々から熱狂的な支持を集めるに至っています。