寺田屋を訪れる観光客が最も衝撃を受けるのが、「現在の建物は龍馬が滞在した当時のオリジナルではない」という建築史上の事実です。長らく「当時の建物が奇跡的に現存している」と宣伝されていましたが、学術的な調査が進むにつれて決定的な証拠が次々と提示されました。
最大の転換点となったのは、京都市が1990年代後半から実施した古文書や当時の地籍図、登記簿謄本の調査です。慶応4年(1868年)の鳥羽・伏見の戦いにおいて、伏見一帯は激しい市街戦に見舞われ、幕府軍の拠点となっていた伏見奉行所周辺とともに寺田屋周辺の民家も壊滅的な火災で焼失しました。当時の罹災記録や明治時代の地籍図を精査した結果、幕末の寺田屋は一度完全に焼失しており、現在の建物は明治時代後期(明治30年代以降)に旧敷地の隣接地を中心に再建されたものであることが学術的に裏付けられています。
敷地内には「寺田屋遺址」と刻まれた石碑が建てられており、本来の寺田屋が立っていた場所を示しています。この事実を知ると失望を覚える読者もいるかもしれませんが、当時の船宿の建築様式や構造を忠実に受け継ぎ、明治・大正・昭和の時代を生き抜いてきた近代遺産としての価値は揺るぎません。