愛らしいフォルムと耳のように羽ばたくヒレで圧倒的人気を誇るメンダコですが、その展示は常に「いつ途絶えてもおかしくない綱渡り」の連続です。なぜ深海魚の飼育はこれほどまでに過酷なのか。現場の飼育記録と海洋生物学の知見を照らし合わせると、陸上環境との間に横たわる物理的・生化学的な巨大な障壁が浮かび上がってきます。
深海魚飼育が難しい理由として、一般には「水圧」が想起されがちですが、実は飼育員が最も警戒するのは「光」「水温」「摩擦」の3要素です。光の届かない水深200〜1,000メートルで進化した深海魚にとって、私たちが快適と感じる室内の照明光は、網膜を焼き細胞組織を不可逆的に破壊する劇毒に等しい刺激となります。水温に関しても、深海は年間を通じて摂氏数度という極低温で安定しており、水槽内の水温がわずか0.5度変動するだけでショック死を引き起こす要因となります。
そして、取材現場で関係者が口を揃えるメンダコ飼育の真相は、彼らの「皮膚組織の信じられないほどの脆さ」にあります。メンダコは骨格を持たず、体の大部分が水分とゼラチン質のコラーゲンで構成されています。深海では水圧と浮力の絶妙なバランスで形態を保っていますが、水槽のガラス面やアクリル壁に触れるだけで表皮が擦れ、そこから常在細菌が侵入して急激に壊死が進行します。
「朝に元気よく底面を歩いていた個体が、夕方には皮膜が白濁して自壊を始めてしまう。メンダコを長期生かすためには、水流で体を浮かせる特殊な円形水槽と、紫外線を完全にカットした波長450ナノメートル前後の微弱な青色LED、そして完全に濾過・殺菌された海水の常時供給が不可欠です」(水族館飼育担当者の談)。
過去には数日から数週間で死亡することが当たり前だったメンダコですが、国内水族館の不断の研究開発により、近年では国内最長飼育記録が次々と更新され、人工授精や孵化の成功といった世界的な快挙も報告されています。しかし、それでもなお常設展示が約束されているわけではなく、遭遇できること自体が極めて幸運な巡り合わせである事実に変わりはありません。