高校時代には「世代最強左腕」と称賛され、鳴り物入りでプロ入りした寺島成輝が、なぜ実働わずか6年でヤクルトから戦力外通告を受けるに至ったのか。その引退理由の核心には、外からは見えにくい過酷な身体的・精神的葛藤が存在していました。
最大の障壁となったのは、ルーキーイヤーから彼を苦しめ続けた度重なる左腕の故障でした。入団1年目の春季キャンプ直前に左肘の違和感を訴え、ノースロー調整を余儀なくされた寺島は、その後も左肩の痛みや背中の張りなど、上半身のトラブルに断続的に見舞われました。高校時代に甲子園予選や本大会で連投を重ねた疲労の蓄積に加え、プロの硬いマウンドと連戦の負荷が、彼の繊細な投球メカニズムを狂わせていきました。
故障によって実戦から離れる期間が長引くにつれ、生命線であった「ボールのキレと制球力」が徐々に失われていきました。関係者の証言によると、本人は「腕を強く振れば振るほど、狙ったコースから外れてしまう」というイップスに近い投球感覚のズレに深く悩まされていたと伝えられています。首脳陣は先発からリリーフへの配置転換など様々な活路を模索しましたが、1軍の打者を力で圧倒できる状態へ戻ることは叶いませんでした。
2022年の秋、球団から下された非情な通告に対し、寺島自身も「やれることはすべてやり尽くした」という納得感を抱いていたと報じられています。若くしてプロの第一線を退く決断をした背景には、ごまかしながら現役にしがみつくのではなく、体が動くうちに第二の人生へ舵を切るという、合理的で前向きな覚悟がありました。