県庁所在地クイズ決定版!大人も迷う難問と県名が違う理由

県庁所在地クイズ決定版!大人も迷う難問と県名が違う理由

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日本の地理学習で最大の壁となるのが、「県名と都市名がなぜ一致しないのか」という疑問です。この謎を解き明かす鍵は、明治4年(1871年)に断行された廃藩置県と県庁所在地の歴史にあります。

明治政府は、江戸時代の幕藩体制を解体し、全国を中央集権的な統治機構へと再編するため、当初は約300あった藩を一挙に「県」へと置き換えました。その後、数次にわたる大規模な統廃合を経て、1888年(明治21年)頃に現在の47都道府県の枠組みが概ね完成します。その過程で、県庁所在地と県名が違う理由として主に3つのパターンが生まれました。

パターン1:郡名や地域名を県名に採用したケース(宮城・愛知・茨城など)

仙台城下町を県庁所在地とした「宮城県」は宮城郡、名古屋城下を中心とした「愛知県」は愛知郡、水戸城下を置いた「茨城県」は茨城郡というように、県庁が置かれた場所の「郡名」をそのまま県名に冠したケースです。当時は都市名(市制)よりも広域行政区分である郡の名称を重んじる方針が存在したため、城下町名と県名が分かれる結果となりました。

パターン2:県庁移転後も旧県名が残存したケース(栃木・滋賀など)

前述の栃木県のように、当初は県名と同じ自治体に県庁が設置されていたものの、その後の交通網の発達や産業集積、軍事拠点としての重要性から別の都市へ県庁が移設された事例です。滋賀県も当初は大津ではなく滋賀郡に県庁が置かれていた名残であり、行政拠点が移動しても広域名称としての県名が変更されずに定着しました。

パターン3:ネット上で囁かれる「官軍・賊軍懲罰説」の真相

歴史ファンの間で長年語られてきた都市伝説に、「戊辰戦争で明治政府軍に抵抗した旧幕府側(賊軍)の地域は、県名と県庁所在地名を別々にされてペナルティを受けた」という俗説があります。会津藩を抱えた福島県や、奥羽越列藩同盟の中心だった宮城県、旧幕府方の盛岡藩だった岩手県などがその例として挙げられがちです。

しかし、近年の歴史学および公文書研究により、この懲罰説は史実としての根拠が乏しいことが判明しています。例えば、官軍の中核であった薩摩藩(鹿児島県)や長州藩(山口県)、土佐藩(高知県)は県名と市名が一致していますが、同じく官軍側であった尾張藩(愛知県)や肥前藩の一部(佐賀県も一時期統合)などで郡名が採用されており、実際には行政実務上の利便性や管轄地域の地理的中心性に基づいて決定されていたことが記録から実証されています。

伊藤 翔太
著者

伊藤 翔太

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。