連載完結時、インターネット上の掲示板やSNSでは「修司とはぐみの結末は、大人が少女を囲い込んだ共依存ではないか」「恋愛漫画としてのハッピーエンドを放棄したのではないか」という激しい批判や困惑の声が一部で噴出しました。しかし、物語の緻密な伏線を丹念に読み解くと、その評価がいかに短絡的であったかが浮き彫りになります。
最大の盲点は、「ハチクロは恋愛を至上の目的とした作品ではなく、自立と才能の業を描いた人間讃歌である」という点です。作中で描かれる登場人物たちは、誰ひとりとして「恋愛の成就」によって救われていません。
真山は理花を手に入れたわけではなく、彼女の深い孤独に寄り添う覚悟を決めたにすぎません。森田もまたはぐみを愛しながらも、己の血に刻まれた復讐と創作の衝動を止めることはできませんでした。そしてはぐみ自身も、修司を「都合の良い保護者」として選んだのではなく、「自分の絵を世界に産み落とし続けるために、女性としての平穏な幸福を差し出す」という、極めて苛烈な自己犠牲と覚悟を持って決断しています。
修司自身もまた、彼女の選択を受け入れることで、自身の研究者としての平穏な余生を放棄しています。ネット上で揶揄されがちな「年の差恋愛」「ロリコン」といった俗的な視点では到底測れない、「表現者とその守護者による血の盟約」こそが、結末に隠された真の構造なのです。