平成の半ばから後半にかけて過熱した美智子さま雅子さま不仲説は、商業メディアの煽情的な見出しによって実態以上に拡大再生産されていきました。女性週刊誌や総合週刊誌は、毎号のように「美智子さまの嘆き」「雅子さまの拒絶」といったセンセーショナルな見出しを並べ、あたかも御所と東宮御所の間で冷戦が起きているかのように描き出しました。
しかし、当時の記録をつぶさに検証すると、週刊誌報道と宮内庁の反応には大きな乖離がありました。宮内庁は公式ホームページ上で度重なる「事実無根」の抗議声明を発表しており、特に2000年代半ばから2010年代にかけては、皇后(当時)のお言葉を勝手に捏造した記事や、宮中での私的なやり取りを歪曲した報道に対して異例の反論を幾度も掲載しています。
報道の現場にいた関係者は次のように証言しています。
「編集部には『姑と嫁の葛藤』という典型的なストーリーを求める読者ニーズが常に存在していました。美智子さまが皇太子妃時代に受けた苦難と、雅子さまの置かれた状況を対比させ、物語をドラマ化して部数を伸ばす手法が常態化していたのです。しかし、実際の御所内部では、美智子さまは雅子さまの病状を深く心配され、医師団の判断を尊重しながら静かに見守る姿勢を貫かれていました」
象徴的な美智子さま雅子さまエピソードとして知られるのが、美智子さまのお誕生日に際しての文書回答です。美智子さまは雅子さまの療養について、「雅子は大きなプレッシャーの中で本当によく耐えている」「回復を焦らず、温かく見守ってほしい」と、幾度となく国民やメディアに向けて慈愛に満ちたメッセージを発信されていました。対立していたのはお二人ではなく、「外野が作り上げた虚像」とお二人の誠実な現実だったのです。