オレンジストリートの公式名称は「立花通り」。その起源は江戸時代末期(幕末)にまで遡ります。長堀川や道頓堀川といった水運に恵まれた立地を生かし、木材の集散地として発展した南堀江界隈には、建具職人や指物師(家具職人)が次々と定住しました。明治から大戦の復興期を経て、高度経済成長期には「婚礼家具を買うなら立花通り」と呼ばれるほど隆盛を極め、通り全体が大型の婚礼タンスや高級木製家具を扱う専門店で埋め尽くされていたのです。
転機が訪れたのは1980年代後半から1990年代初頭、バブル崩壊前後のことでした。ライフスタイルの洋風化や住宅事情の変化、さらに郊外型大型家具量販店の台頭によって、重厚な木製家具の需要は激減。後継者不足も重なり、通りにはシャッターを下ろす店舗が目立つようになります。「このままでは伝統ある街が消滅してしまう」――。その危機感から立ち上がったのが、地元の若手家具店主や商店街振興組合でした。
1992年、地域再生の起死回生の一手として通りに付けられた愛称が「オレンジストリート」でした。橘(たちばな)という植物が柑橘類であることに由来するこのネーミングを合図に、商店街は道路の美装化工事に着手。歩道を拡幅し、街路樹やレトロな街路灯を整備しました。さらに決定打となったのが、空き店舗となった元家具ショールームの「天井の高さ」と「圧倒的な床面積」です。広大でインダストリアルな空間が、安価な家賃で感度の高いクリエイターやアパレル関係者に開放され、南堀江家具ストリートの変遷における第2章が幕を開けました。
90年代後半から2000年代にかけて、大阪発の伝説的セレクトショップやカフェが次々に進出。家具問屋が持つ無機質でインダストリアルなハコ(建築遺産)が、裏原宿ムーブメントと共鳴するようにストリート系ブランドの旗艦店へとコンバージョンされていきました。歴史の文脈を完全に壊すのではなく、「家具・インテリアの街」というDNAをモダンデザインの家具やライフスタイル提案としてアップデートしたことこそ、単なる流行り廃りに終わらない強靭なブランド力を獲得した最大の勝因です。