遺族と検察側は、未来ある幼い命を残虐な手口で奪った犯行の悪質性を重視し、一貫して「死刑」を強く求めました。特に父親のレ・アイン・ハオさんは、極刑を求めるために日本国内のみならず母国ベトナムや世界各国に向けた署名活動を展開し、最終的に100万人を超える署名を司法の場へと提出しました。
しかし、日本の刑事裁判における量刑基準、とりわけ1983年の最高裁判決に基づく「永山基準」が大きな壁として立ちはだかりました。日本の司法実務では、被害者が1人の殺人事件において、強盗殺人や過去に重大な前科がある場合を除き、死刑が選択される事例は極めて稀であるためです。
千葉地裁の一審判決では、遺体の付着物から被告のDNA型が検出された点や、キャンピングカー内で採取された血液反応などの科学的証拠を「極めて信用性が高い」と認めました。一方で、「当初から殺害までを周到に計画していたとまでは言い切れない」と判断され、検察の死刑求刑に対して無期懲役が言い渡されました。
これに対し遺族と検察は量刑不当を訴えて控訴、弁護側も無罪を主張して控訴しましたが、東京高裁、そして最高裁も一審の判断を支持しました。100万人を超える厳罰嘆願署名は法解釈の厚い壁を崩すには至らず、渋谷恭正の無期懲役判決が確定することとなったのです。