中島敦を語る上で避けて通れないのが、生まれ育った孤児院での凄惨な虐待体験です。幼少期の敦は、院長から暗い地下室への監禁、鉄鋲の打ち込まれた鎖での拘束、冷水や暴力による拷問に近い懲罰を受け、「お前のような者に生きている価値はない」と人格を徹底的に否定され続けました。
この経験は重度のトラウマとなり、物語序盤の敦は深刻な自己否定感と「誰かの役に立たなければ生きる資格がない」という強迫観念に苛まれていました。
しかし物語中盤、院長がヨコハマを訪れた直後に交通事故死した事件を機に、隠された事実が明かされます。院長は敦の中に潜む暴走する白虎の異能を抑え込み、外部の危険や懸賞金狙いの裏社会から守るため、あえて自らを憎悪の対象とする苛烈な指導を行っていたのです。
虐待という手段は決して肯定されるものではありませんが、憎悪していた対象の歪んだ愛情と孤独を知った敦は、「他者を許し、自らの過去と向き合う」という決定的な精神的脱皮を果たします。恩師である太宰治の「人は誰かに『生きていていいよ』と言われないと生きていけない」という言葉を受け止め、敦は自らの足で立つ強さを手に入れました。