『月光仮面』の誕生は、武田薬品工業の一社提供枠(タケダアワーの前身)を埋めるため、宣弘社の初代社長・小林利雄氏が「子どもたちを惹きつける低予算の連続テレビ映画を作れないか」と構想したことに端を発します。1話あたりの制作費はわずか数十万円。現在の貨幣価値や特撮予算から見れば極小のインディーズ規模でしたが、1958年2月24日の放送開始直後から、日本中の子どもたちの心を瞬く間に鷲掴みにしました。
当時の報道記録や宣弘社の社史によると、番組の最高視聴率は関西地区で67.8%、関東地区でも60%超を記録。街から子どもたちの姿が消えると言われたこの熱狂は、すぐさま莫大な消費行動へと直結しました。駄菓子屋にはプラスチック製の仮面やビニール製マント、銀色のブリキ製ピストル、ブロマイドが溢れかえり、百貨店や商店街の棚からは関連商品が一瞬で蒸発していったのです。
経済界が驚嘆したのは、映画会社が支配的だった当時のエンターテインメント界において、「テレビという新興メディア発のキャラクター」が中小零細メーカーの生産ラインをフル稼働させ、日本全国の流通網を塗り替えてしまった点です。これこそが、当時の経済紙によって「月光仮面産業」と命名された現象の正体でした。