日本における麻婆豆腐の歴史を語る上で欠かせないのが、四川料理を日本に広めた陳建民氏と、その技術を「料理の鉄人」として広く知らしめた陳建一氏(赤坂四川飯店)の功績です。建一氏は生前のインタビューや著書の中で、「麻婆豆腐は煮込み料理ではなく、油で調味料と豆腐の味を焼き付ける料理である」という名言を遺しています。
本場の麻辣(マーラー)による痺れる辛さの作り方において、最も重要なスパイスが花椒(ホアジャオ)の使い方です。花椒には「熱を加えることで油に香りを移す役割」と「火を止めた直後に振りかけて揮発性の高い柑橘系の香りと痺れを立たせる役割」の2つがあります。プロの厨房では、炒め油に微量の花椒粉を馴染ませてベースを作り、盛り付けの直前にミルで挽きたての新鮮な花椒を惜しみなく振りかけます。この二段構えこそが、口に入れた瞬間に広がる鮮烈なアロマを生み出す秘訣です。
そして仕上げの段階で鍋肌から回し入れるラー油と香味油の焼き付けが、料理全体の輪郭を際立たせます。とろみをつけた後、鍋肌からラー油を大さじ1〜2程度注ぎ、強火で鍋を揺すりながら底を焼き付けることで、余分な油が押し出されてタレと分離し、表面に鮮やかな赤い油の膜(紅油)が張ります。この膜が熱を閉じ込め、最後の一口まで熱々の状態を保つバリアとなるのです。