「冷やし中華が仙台発祥」と聞くと、多くの人が「北国なのに、なぜ?」と首をかしげます。しかし、この疑問こそが歴史の盲点をついています。東北地方の夏は、オホーツク海気団の影響で冷涼な年がある一方、太平洋高気圧に覆われると盆地特有の厳しい蒸し暑さに見舞われます。クーラーや扇風機などの空調設備が一切存在しなかった昭和初期、火を焚き続ける中華料理店の店内は、現代人の想像を絶する過酷な熱気で満たされていました。
当時の様子を伝える業界資料や店主の手記によると、夏になると熱いラーメンや炒め物は敬遠され、売上が平時の3分の1以下に激減する店舗が続出していたといいます。「このままでは夏の営業が成り立たない。夏でもサラリと食べられる看板料理を作らなければ店が潰れてしまう」――この強烈な危機感こそが、すべての始まりでした。
1937年(昭和12年)夏、仙台市青葉区錦町(現在の錦町公園付近)に店を構えていた「中国料理 龍亭」の創業者・四倉義平(よつくら・ぎへい)氏が音頭を取り、市内の同業者が集まって「仙台支那料理同業組合」を発足させました。組合員たちが知恵を絞り、何度も試作を重ねて生み出したのが、中国の家庭料理である和え麺をベースにした「涼拌麺(リャンバンメン)」でした。
当時の開発における至上命題は、単に麺を冷やすことではありませんでした。「夏バテ防止のための十分な栄養補給」と「食欲をそそる爽やかな酸味」の両立が求められたのです。手に入りにくかった高価な食材ではなく、地元で手に入る新鮮なキュウリやキャベツ、トマトといった夏野菜を細切りにして山盛りにし、チャーシューや茹でた鶏肉を添え、鶏ガラベースのスープに酢と醤油、ごま油を合わせたタレをたっぷりとかけました。これが現代の冷やし中華の揺るぎない原型となったのです。