なぜあれほどの国民的スターが、極端な形で事務所との対立に至ったのでしょうか。その深層には、急激なブレイクによる労働環境の急変と、マネジメント側とのコミュニケーション不全が存在していました。
野球の名門・広陵高校出身で、社会人野球を経て泥臭く下積みを重ねてきた野久保さんは、もともと「一本立ちした本格派俳優」を目指して上京していました。しかし、バラエティ番組での「おバカタレント」としてのブレイクは想像を絶するスピードで進行し、自身の望むキャリアプラン(演技の勉強や舞台出演)と、事務所が求めるタレント活動(過密なバラエティ収録や音楽活動)との間に決定的なギャップが生じていたとされます。
当時の芸能界は、現在のようにSNSを通じて個人が自由に発信・独立できる環境が整っておらず、事務所主導のマネジメントが絶対的な権力を持っていました。権利関係や専属契約の法的手続きを踏まず、ブログという公開の場で不満を表明した行動は、当時の業界慣行では「重大な契約規律違反」とみなされ、民放各局もキャスティングに二の足を踏まざるを得ない構造を作り出してしまったのが真相です。