「見たい人だけが契約するペイテレビ(有料放送)にすれば、不公平感は一気に解消される」という主張は極めてシンプルで分かりやすい論理です。しかし、政策決定の場である総務省の有識者会議や国会答弁において、スクランブル化は一貫して否定的な見解が示されてきました。そこには、制度設計上どうしても越えられない「3つの構造的な壁」が存在します。
第1の壁は、放送法第64条に根ざす「あまねく全国に公平に放送を普及させる」というユニバーサルサービスの責務です。総務省の公式見解資料によると、NHKは利益を追求する民間企業とは異なり、採算が取れない過疎地域や離島も含め、全国同一の品質で情報を提供する義務を負っています。もし電波にスクランブルをかけて契約者のみに視聴を制限した場合、未契約世帯に対しては緊急災害時の人命に関わる警報や避難指示、選挙報道といった民主主義の根幹を支える情報を遮断することになり、公共放送としての責務を放棄することになると位置づけられています。
第2の壁は、番組制作における「質の変容と市場原理への迎合リスク」です。スクランブル化によって完全な受益者負担モデルへと移行した場合、NHKの経営は「加入者を増やすためのエンタメ重視・視聴率至上主義」へと傾倒せざるを得ません。その結果、視聴率は低くても社会的価値が高い福祉番組、伝統芸能、教育番組、大規模な調査報道や国際ドキュメンタリーなどの制作が困難になるという懸念が、放送倫理やメディア研究の専門家からも強く指摘されています。
第3の壁は、組織とインフラの維持コストです。スクランブル化を導入すると、契約世帯数が大幅に減少し、現行の事業規模を維持するための単価が跳ね上がると試算されています。残った契約者に対して月額数千円から1万円規模の負担を強いることになり、結果として「真面目に契約している層への過度なしわ寄せ」を招くという逆進性が指摘されています。