事件から半世紀近くが経過していたにもかかわらず、なぜ公訴時効が成立していなかったのか。この疑問の鍵を握るのが、刑事訴訟法第254条第2項に定められた「共犯者の公訴時効停止」という規定です。
東アジア反日武装戦線のメンバーのうち、大道寺あや容疑者や佐々木規夫容疑者らは、1970年代に起きたクアラルンプール事件やダッカ日航機ハイジャック事件において、日本赤軍側の要求により「超法規的措置」で釈放され、国外へ逃亡しました。
日本の法律では、共犯者が国外にいる期間中は事件全体の公訴時効の進行が停止します。桐島聡本人は国内に潜伏し続けていたものの、国外に逃亡した共犯者たちの時効が止まっていたため、連動して桐島に対する逮捕状も有効であり続けました。捜査当局が追及の手を緩めなかったのは、法的に犯行責任を追及できる状態が維持されていたためです。
2024年1月、末期がんで自力歩行が困難となった桐島は鎌倉市内の病院へ「内田洋」名義で担ぎ込まれましたが、死期を悟った本人が「最期くらいは本名で迎えたい」と医療スタッフに告白。警視庁公安部が緊急派遣され、親族とのDNA鑑定結果により血縁関係が確認されました。桐島聡の最期と死因は進行期の胃がんであり、身元確認からわずか数日後の2024年1月29日、70歳で死亡が確認されました。警視庁は同年2月27日、被疑者死亡のまま書類送検し、半世紀におよぶ捜査は幕を閉じました。