須藤豊氏の野球人生の原点は、四国の名門・高知高校にあります。厳しい鍛錬の中で培われた強靭な足腰と野球勘を武器に頭角を現し、1954年に毎日オリオンズ(後の毎日大映オリオンズ=大毎)へ入団しました。
プロ入り後は俊足巧打・堅実な守備を誇る内野手として頭角を現し、1960年の大毎ミサイル打線によるパ・リーグ優勝時にもチームの一翼を担いました。1962年には読売ジャイアンツへ移籍。川上哲治監督率いるV9黄金期の前夜から黄金期序盤にかけて、二塁手・三塁手をこなすバイプレーヤーとしてチームの勝利に貢献しました。
現役引退時の通算成績は実働15年間で987試合に出場、489安打、23本塁打、打率.218という数字ですが、数字以上に「チームのために身体を張る闘志あふれるプレースタイル」が高く評価され、引退後すぐに指導者への道を歩むこととなりました。