読者コミュニティや考察スレッドにおいて、長年にわたり白熱した議論が交わされているのが「もし童磨が初手から本気を出していたら、無限城編の鬼殺隊は全滅していたのではないか」という仮説です。この議論が持ち上がる最大の理由は、彼の能力が持つ「自動迎撃リソースの無尽蔵さ」にあります。
童磨の「結晶ノ御子」は、本体が扇を振るう労力すら払わずに生み出され、しかも消滅させられない限り本体と同格の血鬼術を乱射し続けます。仮に童磨が最初から前線に出ず、部屋の奥で御子を10体、20体と量産して無限城内に解き放ち、広域に「冬のされら」や「凍て曇」を展開していた場合、鬼殺隊は呼吸を使うことすらできずに壊滅していた可能性が極めて高いと評価されています。
しかし、童磨がその圧倒的な優位性を活かしきれなかったのは、能力的な制限ではなく彼の「致命的な精神構造」に起因していました。童磨には生存本能や他者への怒り、誇りといった感情が存在せず、常に退屈しのぎの遊戯感覚で戦闘を行っていました。この徹底した慢心と相手への侮りが、彼にとって最初で最後の致命傷を招くことになります。